☆引退特集☆ 〜獅子吼魂で戦い抜いた4年間を振り返って〜

9月18日に第91回関東大学サッカーリーグ・第22節・対明大戦が行われた。今季の全日程が終了し、これをもって4年生は引退となる。


最後は部員全員で記念撮影=味の素フィールド西が丘で(宮下 響撮影)

回は、4年間を戦い抜いた4年生に今の思いを伺った。

◆渡邉 黎生(G4)
「(4年間を振り返って)短いようで長かったなという感想。一日一日本当に濃く時間を過ごさせてもらったので、それは駒澤大学サッカー部という関係性であって、監督であったりスタッフの皆さん、同じ仲間、先輩後輩だったり、常に刺激をもらえる毎日で変わらない日というものがななかったので、本当に幸せな4年間だったと思う。(同期について)本当にみんな一人ひとりいいやつというか、うまく言葉が見つからない。良いところもあって、悪いところもあって自分はそこが好き。みんないいところだけじゃなく、ダメなところもあってでも好きだなって思う。本当に一人ひとりに思っている。出会えたことも感謝しなければならないし、出会えてこういう関係になれたことも自分は本当に感謝しなければならないと思う。(主将として)先日慶応大に負けたときにインカレも無くなってしまって、今節が最終節となってしまって本当に今週一週間考えたが、やはり自分の力が足らなかったと思う。言葉だけでなく感じた。自分がふさわしかったか、ふさわしくなかったかは分からないが、自分の力が足らなかったなと強く思う1年間だったなと思う。感謝している部分もある。こんな自分にも嫌な顔せずというか文句も言わずに本当に必死に頑張ってくれた。特に4年生だが、1年生、2年生、3年生にも感謝の想いを伝えたい。(ケガを乗り越えて復帰をしたが)あまりプレイヤーとしてチームを引っ張れないなとはキャプテンになった時から思っていた。ピッチに出る選手としてチームを変えられる選手、ノリ(熱川徳政)や英哉(大村英哉)などずっと出ていた選手に比べれば、自分は何もできないと思っていたので、どんなことがあっても、ケガをして1年間サッカーができなくなっても、この前のように出場停止になっても、何かピッチの中でないところでもチームの勝つ要因になれる、なれたらなと思っていたので、出る出ないは関係なくやろうとしていた。それも足らなかったかもしれないが。(感謝している人)難しい、一人には絞れない。1年間、4年間通して本当にいろんな時に、いろんな人の一言、一つの行動で頑張ろうと思える瞬間が何十回、何百回とあったので、やはりみんなに感謝している。ただ、監督には感謝しているし、スタッフの皆さん、OBの方々、駒大を支えてくださっているすべての方々、両親もそうですし、父母の方々、駒大を支えてくださる全ての方々に感謝している。「ありがとう」と伝えたい。(印象に残っている試合)専大戦を雨の中戦った時。個人的な話だが小口とは4年間同部屋だったので、4年経ったとき、自分らの代になった時に結構もめたり、お互いうまくいかない時があった。小口自身もかなり苦しんでいたというか悩みながらやっていて、あそこの場面で使ってもらえるというか、自分でつかんだチャンスが来たところを、結果で示せて、自分はあの試合を忘れることはないと思うぐらい、個人的な思いも含めたら、あの試合のあの一点は本当に思い出深い試合かと思う。(後輩に託したい事)結果が出ないと何も言ってもあまり伝わらない。自分は逆の立場ならそう思ったと思う。負け犬の遠吠えではないが、結果が出なかった、人の上に立つリーダーとして何か伝えられるのかなと思う。ただ、いろいろ伝えたいことはあるが、難しい。たくさん伝えたいが、今は何を伝えれば一番いいかまとまっていない状態。感謝の気持ちを持つことは大事かなと思う。感謝することと人に対して仲間に対して敬意を払うことは大事なのかと思う。(駒大サッカー部とは)愛ですね」



◆熱川 徳政(歴4)
「(試合を振り返って)勝ってみんなで最高の終わり方ができればベストだったがそれができなくて悔しい気持ちでいっぱい。(明大の櫻井について)あいつ(櫻井選手)との「対人」で意識したこともあったが、櫻井がボールを持った時の周りのサポートも良かった。うまくやられてしまった部分もあったし、抑えられた部分もあったので、五分五分といった感じ。ただ、チームとしてみると負けてしまったので、そこが一番悔しい。(攻撃について)正直、正確性がないというのが、シーズンを通じてあった。自分たちが長いパスを軸にしてやっているので、難しい部分もあったが、そこをパスの出し手と受け手の選手がもっとかみ合ってくれば良かった。そこは来年改善しなければならないところ。(後輩に残したいもの)やはり、一人ひとりがもっと熱くなって、もっと勝負にこだわって、ピッチに立っている選手がチームのために戦うというメンタル的な部分が本当に大切だと思った。メンタル的な部分を特にAチーム、試合にでる選手にもってもらえると良いかなと思う。(4年間を振り返って)苦しい、つらいことも多かったが、その中で耐えて試合に使ってもらいキャプテンまで任せてもらえたので、4年間は満足している。チームとして結果は出なかったが個人としては成長できたと思うので後悔はない。(54試合連続出場について)自分だけの力ではなくて、自分を信じてくれるスタッフや監督がいてこそだと思っているので、本当に監督とスタッフに感謝の気持ちでいっぱい(自身のベストマッチ東国大戦)あの試合はシーズンを通じて、多く点をとって勝つことがなかった。無失点の試合も無かったので、無失点かつ5得点ということが本当に流れが来たのを感じた。これをやれば勝てるなと思った試合だった。(同期に向けて)みんなに向けてはありがとうの一言。(一番の思い出)練習以外のところで同期と部室やグラウンドで話すなにげない時間というのは、今となってはなくなってしまったので、本当に貴重だったかなと思う。(感謝したい相手)駒大サッカー部で教えてもらったことは本当に大きいので、秋田監督には本当に感謝したい。(サッカーを通じて学んだこと)試合が90分しかない中で、諦めなければ何かが起きることは学んだ。実際専大戦なども最後にあのようなこと(後半ATでの逆転)が起こったりするので、最後まであきらめない気持ちの部分は本当に学んだ。(自身にとって駒大サッカー部とは)熱い男たちの集団(今後のサッカー人生)今後もサッカーを続けていく(プロについて)決まってからですね」

◆眞砂 慶太郎(商4)
「(今の気持ちは)なんともいえない。(4年間を振り返って)非常に充実した4年間。大変だったけど、仲間とサッカーができたことが1番楽しかったし、練習や自主練など全ての時間が大切だった。(同期に一言)今年は今までの4年生と違う姿を見せてくれた。不満もあったと思うが、その中でみんながしっかり仕事をしてくれた。結果が出なくて申し訳ない気持ちでいっぱいだが、感謝したい。自分がこういう立場になれたのも、サッカーで成長できたのも意識の高い仲間がいたから。本当に感謝しかない。(思い出は)強いて言うなら、普段なにげなく当たり前に過ごした日々が思い出。(印象に残っている試合は)自分が出ていた試合ならPKで勝ったアミノバイタルカップの日体大戦。でも1番印象に残っているのは逆転で勝った後期の専修大戦。自分は出ていなかったが、1番いい試合だと思う。(サッカーで学んだことは)上手い人もいっぱいいる中で自分がやってこれたのは、仲間を思う気持ちや負けたくないという気持ちで戦っていたから。気持ちで勝負ができることを学んだ。(副将としての1年間は)難しかった。4年間の中で1番短かったが、1番長かったようにも感じる。今までの4年生は1年生に直接何かを伝えることはあまりなかったと思うが、後輩に伝えるようにした。ここで大事なことは何かなどいろいろ伝えられたと思うし、それを来年に生かしてほしい。サッカーは今までと変わっていないが、ピッチ外の行動は今までの4年生とは違うことをやった。監督が言っていることも含めて、そういうことを大事だと下の代に伝えてあげないと毎年同じことの繰り返しになってしまう。広く深く伝えることができたのではないかと思う。(進路は)これから就職しようと思っている。(駒大サッカー部とは)自分の居場所だし、家族のような存在」

◆輪島 稜(経4)
「(今の気持ちは)サッカー人生がこれで終わり。完全燃焼だったが、最後いい結果で終われなかったのは残念。(今日も好セーブが多かったが)どれだけ止めても3失点は3失点。入れられたらそれは変わらない。精一杯やったので悔いはない。(4年間を振り返って)3年生と4年生のときに出させてもらったが、あと一歩で全国大会に出れなかった。それが自分たちの実力。あと一息だったが。(同期に一言)一緒に戦ってくれた仲間も、応援してくれた仲間にも、『ありがとう、これからも頑張ろう』と言いたい。(感謝したい人は)親、家族には感謝している。これまでお世話になった人にも感謝している。あと、今のGKとしての自分があるのは高校まで教えてくれたGKコーチのおかげなので、とても感謝している。(4年間の思い出は)今年の開幕の桐蔭大戦のゴールもどき。GKをやっている人の中でもそうそう経験できないことだと思うので、それを経験できたのはいい思い出になったし、一生忘れないと思う。(印象に残っている試合は)今年の開幕の桐蔭大戦と、MOMに選ばれた去年の前期の流経大戦。人生で最初で最後のMOMだったので、忘れない試合になった。(サッカーで学んだことは)14、5年サッカーをやってきた。今の自分があるのは全てサッカーのおかげ。サッカーがなかったら自分がどうなっていたかわからない。数えきれないほどたくさんのことを得たを思う。(森選手のけがからレギュラーを掴んだが)チームとしてはキャプテンがけがでいなくなる厳しい状況だったが、個人的にはチャンスだった。去年の経験が今年の結果に結びついている。また、モリケンさんはけがをしてもいつも自分を応援してくれた。自分もけがをして急にプレーできなくなるかもしれないので、毎回の練習からいつ終わっても後悔しないようにという心がけていた。モリケンさんの姿を見たから自分の心に変化があり、今の自分がある。(ゴールを守ることは)自分の長所はシュートを止めること。ゴールを守ることはGKの必要最低限の仕事。今年は毎試合失点することが多くて、自分の責任だったと思う。(進路は)不動産の営業。(駒大サッカー部とは)1年生のときから4年生までいつも行動や発言に駒大サッカーの一員という責任がついてくる。チームの一員としての自覚を持たせてくれる場所」

◆大村 英哉(国4)
「(4年間を振り返って)思うよう結果は出なかったが、今思えば楽しかったと思う。(同期に向けて)本当にこのチームで良かったと思うしこの同期で良かったと思う。(感謝したいか)監督はもちろん同期にも感謝したいが、両親に一番感謝したい。(4年間で一番印象に残っている試合)悪い意味で印象に残ってるのは、2年次の後期に初めて途中から出場した試合。全然ダメだったしすごく悔しかった記憶が残っている。良かった試合は、去年の早稲田戦。初めて点を取れた試合。3-2で勝てた試合。(一番の思い出)監督に怒られたこと。(どんなことを怒られたか)自分は結構気持ちの面や男らしさなど、そういう面でいわれることが多かった。(昨日の明大戦)本当に最後だったので、そういう気持ちでやったのが自分の中で良かったのかなと思う。(2年間試合に出場した中で学年が上がるにつれて変わったこと)去年試合に出る中で最後悔しい負け方をして、今年は引っ張っていかなければならないといけないという思いに変わって、今年は引っ張っていこうと思ってやっていたが、結果的にいい結果が出せなかったので、積み重ねが足りなかったとかなと思う。(この先サッカーは続けるか)今のところは決まっていない。(模索中か)そうですね。(駒大サッカー部とは)家族ですかね。監督もよく駒大ファミリーと言っていたので」


◆小田 駿介(国4)
「(4年間を振り返って)1年生の時とかは『長いなあ』ってたたなんとなくやっていたが、試合に出るようになってそこからチームのことを考えるようになった。もうちょっとチームのために早くからやることが大切だと思う(同期への思い)本当にありがとうしかなくて、試合に出た人も出てない人も一緒になって戦ってくれたのでありがたい。(誰に感謝を伝えたいか)チームメイト全員とスタッフ監督含めて全員に伝えたい。(印象に残っている試合は)4年後期の専大戦。小口が決めたのが嬉しかったし、小口は2年の時から試合に出ていて、4年になってからは苦しんでいるのを知っていた。チームが勝ってない時期に彼が決めてくれたのが嬉しかった。(後期は大事なところで点を取ってきたが、前期との違いは)後期は1試合1試合に取り返しがつかないので、本当に自分の得点能力が必要になる時が来ると思っていた。そこに向けていい準備をしてきた。(一番の思い出)走り合宿。絶対あそこに行きたくないと思うし、あそこにいかないためにも頑張ろうと思った。苦しいことが4年間経ってみたらちっぽけだなという感じがする。(駒大サッカー部を一言で表すなら)多くが詰まった大学生活。これからこの4年間を過ごしたいと思っても過ごせないと思う。」

◆小口 大司(現4)
「(四年間を振り返って)現役でやっている時は辛いことが多く、引退したら楽だろうと思っていた。いざ引退するともっと皆でサッカーやりたいという気持ちが出てきた。(同期にどういった思いがあるか)入学したばかりの時は早くやめたいと思っていたが、試合を重ね、学年が上がるにつれて、チームや仲間に対する愛が深まった。今皆でサッカーが出来ないことがとても悲しい。(誰に一番感謝の気持ちを伝えたいか)一番は秋田監督。今まで小学校から大学までずっとサッカーをやってきた。秋田監督というのは今まで自分が関わってきた指導者と全然違う、こだわりを持った方。最初は言われたことが分からなかったが、今では一つ一つ言葉が染みて、サッカーや人間の捉え方がガラリと変わった。監督に言わせれば全然変わっていないだろうが、自分では少し変わったと思う。(印象に残った試合)後期の専修戦。(今振り返ると)三年と比べて四年はけが等もあって出場機会が減ってしまい悔しい思いをした。チームとして後期勝っていない状況にあそこで自分を起用してくれた監督やスタッフ、キャプテンなどの上の立場の人にとても感謝した。そういう人たちのためにも頑張ろうと思い、そういった気持ちがああいった形になったのだと思う。(一年間背番号10を背負ってきたが)10番をつけさせてもらって試合に出れないというのはとても悔しかった。そういう思いもあって、専修戦は自分の中でやっとそれらしいことができたと思えた試合。(駒大サッカー部を一言で)愛」

◆上田 哲也(社4)
「(4年間を振り返って)楽しかったです。辛いことの方が多かった。でも楽しかった。(ポジション変更について監督の進言があったか)そうですね(どのような)あまり褒める人ではないので評価はされていないが、下手だったので「お前は後ろでやっていろ」と言われた。やはりあまり褒める人ではないので何かが良いから後ろをやれということではないです。(同期に向けて)ありがとうという感じ。一緒にやってくれて。(一番印象に残っている試合)今年の前期の法政戦。山梨中銀の雨の中、何もできずに90分過ぎて負けた試合。(1トップで)そうですね。(法大戦・東国大戦のフォワードでの試合について)やはり練習していないと、点は取れない。(事前に連絡などはあったか)法政戦はだいたい1週間前から言われていた。(高橋選手のケガがあってのことか)そうですね。(1番の思い出)2年生の時の夏合宿。長野県で合宿していたが、帰らされたこと。帰れと言われて帰った自分も悪いが自分で電車に乗って各駅(停車)で帰ったこと。(真の意味での帰れという発言だったのか)監督が嘘をついているわけではないが、今まで出会ってきた指導者に帰れと言われても普通帰らないのがスポーツマンかなと思う。自分はビビッて帰ってしまった。2年生だったのでその時60歳以上の監督が言うなら普通はおかしいが帰った方がいいのかなと思ってしまった。高校の時のコーチに連絡をしたら、コーチも秋田監督を知っていて、「それは帰っちゃダメだよ」と言われた。その帰ったことが思い出というか4年間で一番印象に残ている。そこから学んだことはたくさんあります。(今季チーム初ゴールについて)本当に気持ちの入っている奴のところにボールが転がってくるんだなと思った。やってやろうという思いはあって、そういう思いでやり続けるのが難しかった。2,3カ月新しいチームでやってきての1試合目と10試合目に同じ気持ちでやり続けるのは難しかった。そういう思いでやり続けられたら、ボールも転がってきたのかなと思う。(駒大サッカー部とは)家族ですかね。監督がずっと言っているので」

初芝 政弘(国4)
「(試合を振り返って)自分が不甲斐ないプレーでケガをして交代させられてしまい、監督のプランも崩れてしまったと思う。チーム全体の雰囲気も下げてしまったのかなと思うのでそこの部分に関してはかなり責任を感じている。チーム全体としては、監督が4年間言い続けてきたことを自分たちが体現できなかった。例えば、受け入れる力など、技術ではなく気持ちなどの面で監督は言い続けてきたので、それを自分たちが体現できなかったのがこの試合で出てしまったのかなと思う。(自分とは逆サイドから攻められることが多かったが)左サイドバックには熱川がおり、自分自身熱川にはめちゃくちゃ信頼しているので、最後のところで何とか体を張って防いでくれると思っていた。その中でも防げないところを自分が対応できればいいと思っていた。(攻撃に関して)前に前にという気持ちはあったと思うが、最後の正確性やクロスの質、中の選手の入りかた、シュートの質そういうところが足りなかった。(最終節を終えて)明治は守備が良いチームだった。体をぶつけたときに明治は「対人の強さ」がある。そこで少し負けてしまったのかもしれない。(4年間を振り返って)ケガが多く、去年の後期の途中からケガをしていて、今年の5月ごろまで響いてしまい、今日の試合も結局ケガでやり切れない感じで4年間終わってしまったかなと思う。入学したときは「試合に関われるのかな」と思っていたし試合に出れないだろうなと思っていた。なんとか監督が言っていることを頑張ってやろうとしたからかは分からないが、去年から少しづつ試合に出れるようになった。自分としては本当にいい経験ができたと思う。(ポジションについて)自分は頭脳的なプレーなどは苦手で、自分の長所は身体能力だと思っている。それを生かしながらやっていた。サイドハーフはとにかく運動量を求められ、そういう部分はサイドバックとは違い、サイドバックは頭を使うところもあり、少し複雑なところもある。自分は言われたところをやるだけだった。(ロングスローについて)もともと投げれるタイプではなく、大学に入学してから自主練で取り入れてみて、本当に少しづつ投げれるようになったという感じ(いつ頃から武器になると感じ始めたか)去年の前期に自分のスローイングから点が入った。そこからスローイングが大事だと思い始めた。3年次の前期から練習も始めた。今年に入って距離も飛ぶようになった。(4年間の中で印象に残っている試合)今年の専修大学戦。自分の責任で1点目に失点してしまって、自分のなかで「やばい」と思っていたが、最後に小口が後半のロスタイムに決めてくれたので、忘れられない試合です。(試合以外の思い出)試合以外だと駒澤大学は2月に死ぬほど大変な「走りの期間」があるので、それは印象に残っている。(どれくらい走るのか)練習の開始から筋トレのような基礎練習から始まり、ボールを使った走る練習をする。最後に「素走り」という感じ。(同期に向けて)同期がいたからここまでやれたと思うので、本当に「ありがとう」と言いたい。(サッカーを通じて学んだこと)サッカーを通じて、人間性など何事も大事なのかなと学んだ。自分のためだけではなく、誰かのため、人のためにやる大切さなどを学んだ。(いま一番感謝したい人)監督です(自身にとって駒大サッカー部とは)家族のような存在」


◆大川 雅史(営4)
「(4年間を振り返って)寝る時間を除けば、4年間家よりも長くいたので自然と愛着が湧いてきたので、引退するのさみしい。(同期に伝えたい事)サッカー以外でも私生活の面でも仲良くしていたので、離れ離れになることは本当にさみしい。(印象に残っている試合)2年生の時に前期開幕戦で出たが、ぜんぜん駒大サッカーを体現できないなと痛感した。それ以来これまで出番がなく、その試合以来プロも厳しいと思った。このままサッカーで活躍することはできないなと体感した。(その中で試合に出られるようになったことについて)4年生になってサッカーが変わったかなと思うことはある。自分が1年から3年の時は本当に走る、シャトルランのような動きに近かったが、4年になってからは横に繋なぐなど、時間を作れるサッカーになった。やりやすくなり、うまくチャンスもつかめたので良かった。(駒大高校出身7年やってきて)7年間共にやってきた仲間たちとはこれからも仲良くしていけると思っている。一生の仲間を作れたことは本当にうれしい。(駒高出身の後輩に向けて)駒高からAに上がる人はあまりいないので、自分的には駒高の人がもっとAに上がれると嬉しい。自分たちの代は自分と真砂だけだったのですこしさみしい。みんな頑張ったらAに上がれるのになとおもっていたがキャラなどもあって自分的には駒高がたくさんいたら楽しい。(駒大サッカー部とは)家族です」


◆荒木 直道(経4)
「(四年間を振り返って)辛いことが多かったが、それ以上に仲間と一緒にいて楽しかった時間の方が多かった。本当に楽しい四年間だったと思う。(四年間一緒に戦ってきた同期にどういった思いがあるか)本当に感謝の言葉しかない。(一番印象に残っている試合は)自分の出ていた試合だと、初スタメンだった前期の慶応戦。1ー0から1ー1にされて最後坂本の勝ち越しで。自分もスタメンで出ることを目標にしていたので、そこで勝てたのは嬉しかった。自分が出ていない試合ではアイリーグの最終節。慶応との試合。いつも応援してくれている皆が最後に頑張って逆転勝ちしてくれたのが自分の中ではとても印象に残っている。胸が熱くなる試合だった。あの日あの試合を見て自分自身もっとチームのためにやろうと思い、行動も変わった。一つの試合で人は変えてもらえるのだなと思った試合。(CチームからAチームまで上がれたのは何が要因だと思うか)周りの目を気にせずに自主練等の努力を積み重ねることでしか上にいけないと思っている。中学高校もそういう風にずっと努力をして試合に出てきた。それを大学でも最大限に行った。努力をして上がれない時期は苦しいが、自分が上がっていくことによって周りの選手や後輩に希望というか、こういう選手もいると示せると思っている。そういう選手になりたいと思ってずっと上を目指して頑張ってきた。(この一年間トップでやり続けたことについて)四年生ということは自分のことだけではないこと。チームのことも考えながら自分のパフォーマンスも上げていかなければならないというのは、とても難しかった。自分のことだけでなく、チームのことも最優先で考えなければならなかった。いろいろな思いがある。辛かったと言えば辛かったが、楽しかったと言えば楽しかった。(四年間で思い出に残っていることは)毎日が楽しかった。仲間に出会えたことが一番の思い出。それが全て。(駒大サッカー部を一言で)ファミリー。(皆さんファミリーという言葉を挙げられるが)自分たちは一つにならないと勝てないということが分かっていた。どれだけつながりを強くしてチームワークを発揮出来るか。自分たちは上手い選手ばかりではない。チームワークや仲間を思う気持ちという点でチームとしてまとまって勝ちを目指していた」

◆大塚 光一郎(営4)
「(4年間を振り返って)この4年間、あんまり試合にコンスタントに絡むことができず、悔しい思いをした。今後もサッカーを続ける上で良い経験になった。(今後も続けるのか)そうですね。どのカテゴリーになるかはわかりませんが。(同期に向けて)ずっと一緒に戦ってきたので、今はお疲れ様と言いたい。(誰に感謝したいか)家族ですね。自分が怪我をして手術をした時に良い言葉をくれて、自信がついたしまだやれるな、もっと頑張ろうと思えた。(怪我などがあって辛い思いがあったと思うが、その経験はどう生きているか)昔の自分だったら腐ってしまうかもしれないが、今は頑張ろうという思いになっているので人間的にも変われたと思う。(印象に残っている試合は)去年の後期開幕戦。デビュー戦だったが、意外とすんなり試合に入れた。(一番の思い出は)寮生なので、寮の生活が思い出。(駒大サッカー部を一言で表すと)魂」

◆関根 稜平(商4)
「(今の気持ちは)終わっちゃったなという気持ち。4年間が短かった印象。(同期に一言)僕はサッカー部にも迷惑しかかけてこなかった。同期たちにたくさん支えてもらったので、ありがとうと感謝したい。(感謝したい人は)キャプテンの渡邉は寮でもいつも近くにいてくれた。心配してくれて、支えてくれたという思いがあるので、本当にお世話になった。(思い出は)この前のIリーグの最終節。台風の中4年生全員で流経大まで応援に行って、最後の最終にCKで逆転勝ち。みんなで喜ぶことができたことが印象に残っている。(リーグ戦では応援で活躍したが)僕はサッカー自体は下手くそでチームに貢献することができなかった。僕の唯一のストロングポイントは声だと思っていたので、ピッチの選手たちの力になれるような声援を送れたらと思っていた。(後期は登録メンバー入りしたが)1年生から3年生のときはサボりすぎていて、監督から怒られていた。監督から怒られてようやく目が覚めたし、やらなくちゃいけないことを認識できた。監督は高校の先輩なので、僕のことを見てくれているありがたみを感じながら一生懸命プレーすることができ、サブのサブだったがご厚意でユニフォームを着させていただいた。監督には人間として変えてもらったので、感謝しきれない。(印象に残っている試合は)後期の専修大戦。小口はけがもあってなかなか活躍できていなかったが、途中出場で最後の最後に決める。小口とも仲がいいので、小口がやってくれて嬉しかった。(サッカーで学んだことは)秋田監督がいつも『最後まで頑張れ』や、『諦めない気持ち』をおっしゃってくれるが、本当にきついときでも仲間のために頑張るというメンタル的なことを教わった。(進路は)水間コーチと一緒の会社。サッカーも続ける。大学4年間で学んだことを生かせるように一生懸命やることをやって、他人のためにもやることをやる。大学4年間は最後だけ頑張って後悔が残ってしまったので、後悔のない人生にしたい。(駒大サッカー部とは)苦しかったが、人間として成長させてくれた組織」

◆鈴木 翼(G4)
「(4年間を振り返って)サッカーをやるために駒沢大学に入って、サッカープレイヤーとして向上したいという思いでサッカー部に入った。自分自身出身高校は別に有名なわけではなくて、最初は駒沢大学というのは強豪というイメージでその中で自分がどれだけできるかというか、サッカー人生をやり切れるところまでやりたくてこの大学に入ったので、正直その時の目標など4年後を見据えていたころのことを考えると悔しい。率直にな感想は悔しいという思いが一番で、それはチームとしても個人としても満足いくものではなかったと思う。(それは主務に就任した時の想いか)主務になったときはもちろんそう思った。主務としてチームをマネジメントする立場に最後の1年間なって、いいチームに自分が望むようなチームにできたかといえばそうではない。4年生になって主務になってからチームとしての結果も出なかったから。主務になるときは個人的な悔しさが大きかったが、主務になってからはチームとしての結果が非常に悔しくもあり残念でもある。(自分の中で印象に残っている試合)他の選手も印象に残っていると思うが、専修大戦が印象的。リーグの終盤に近付くにつれて4年生がインカレへの想いなど「なんとかこのチームで」という思いが強くなっていた。専修大戦の直前は特にその想いを強く持って練習に取り組んでくれたので、その結果が試合で少しいい方向に動いたかなと思う。(主務をやっての成長・良かったこと)監督の話を他のプレイヤーよりも多く聞くことができた。監督はプレイヤーに対しては怒ることも多が、普段話しているときは全然怒らない。監督が普段なにげなく話しているサッカーに対する思いや日本に対する思い、駒大に対する思いなどを聞けてすごく勉強になった。やはり自分の約3倍生きている人の言葉は重みがある。あとはいろいろな場所に行ったとき、監督のもとにいろいろなOBがいらしていて、そういう人たちの想いも背負っているのだと感じる時があった。選手をやっていたら会わない人にも会うことができた。主務になってそういった人たちの言葉を聞くと、ここでピッチに立っている人たちはたくさん背負っているのだなと感じた。(声かけについて)基本的に監督の言葉で伝えるところは監督が伝えており、自分の言葉で思ったときは自分で伝えている。自分は最初のころはあまり声かけなどはしなかったが、監督に「思ったことがあったら、悔いが残るから言いにいった方がいい」と言われ、それからは自分の思ったことはすぐに選手に言いにいくようになった。他では、監督に言ってきてほしいと頼まれることもある。ケースバイケースという感じ(同期に向けて)この学年だから主務がやれた。最後に「ありがとう」と言ってくれた人には「こちらこそありがとう」と伝えたい。同期が居たから主務を最後までまっとうできたと思うから感謝している。最後に近づくにつれて同期たちのプレーが練習からも伝わってきて、そういったものが非常に心にくるというか感動した。(今後は)仕事は普通の営業だが、社会人サッカーや母校の高校のサッカー部の指導を頼まれている。個人的にサッカーは好きなので、見に行ったり、社会人でプレーしたりしてサッカーにはずっと関わっていきたいと思う。(感謝を伝えたい人)ここまで不自由なくサッカーを続けさせてくれた親には感謝している。(駒大サッカー部とは)人生で一番学んだ場所。人間性や生きていくうえでのことなど。特に人間としての部分を一番成長させてもらったと感じている」

◆袴田 敬司(禅4)
「(4年間を振り返って)選手としてサッカーをしていたのは一年生の最初の頃だけだった。そのため選手としての思い出はあまりない。一緒に戦ってきた四年生達とここまでやれて良かった。皆でインカレに向けてサッカー出来たことが自分の人生における財産になったと思う。(学連から副務に立候補したのはどういった思いからか)最初、学連をしている人は副務にならなくていいという暗黙のルールがあった。そのため自分と岡田が主務決めに混ざって多数決で決まった人と話すことになっていた。話していく中で学連のことも知っている自分がなったら事務的な部分が円滑に進むと思った。怪我のこともある。その時両足肉離れでしこりもできていて、選手として全力でサッカーが出来ていなかった。それも理由。(今誰に一番感謝したいか)一番は監督。このサッカー部に入れてもらったことから、副務になってから自分の人生観や人間性について学ばせてもらったことがとても大きかった。(四年間の一番の思い出、印象に残ったことは)難しい。自分は関係ないのだが、トルコに遠征に行った時、富岡秀平がスローインする時に蜂に刺されて「監督、蜂に刺されました」と言って交代したのが一番面白かった。(駒大サッカー部を一言で)青春」

Copyright (C) 2003-2017 KOMADAI SPORTS NEWSPAPER, All Rights Reserved.

当サイト内の写真、記事等の著作権は駒大スポーツ編集部に帰属します。無断での転載・二次利用を固く禁じます。

KOMASPO is the member of the Kanto university sport newspaper league.